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【レポート】12.16(水)開催:『イエス』ナダヴ・ラピド監督 オンライントークイベント

2025年12月17日

カンヌ国際映画祭《監督週間》に選出された、世界最前線の映画を日本でいち早く鑑賞できる貴重な機会である「カンヌ監督週間in Tokio」。第3回目となる今年は、ヒューマントラストシネマ渋谷にて12月12日(金)から12月25日(木)までの開催。


この日、TOKYO FILMeX 2025を含め二回目となる『イエス』の上映が行われました。テルアビブで映画作りを学び、現在はフランス在住のナダヴ・ラピド監督。今回の上映に合わせての来日を予定していましたが、航空便の関係で来日が叶わず、トークは急遽オンラインに変更。「監督週間」のアーティスティック・ディレクターであるジュリアン・レジ氏が登壇し、ラピド監督のこれまでの実績を振り返りながら、新作について詳しく話を伺いました。


下記、イベントの一部レポートをお届けします。



まず、レジ氏はラピド監督の5本の長編映画について触れ、「『Policeman(英題)』(2011)はロカルノ国際映画祭の審査員特別賞を受賞、『キンダーガーテン・ティーチャー』(2014)はカンヌ批評家週間に選出、『シノニムズ』(2019)はベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞、『アヘドの膝』(2021)はカンヌ審査員賞を受賞しています。今回の『イエス』はカンヌ監督週間に正式出品されましたが、オフィシャルセレクションでは無かったのは、作品の質によるものではありません」と、今回のカンヌ監督週間の選出について続ける。「彼は常にイスラエルについての映画を撮っています。イスラエルを病んだ体として、また内部から分裂している国として描いているわけです。今回の『イエス』は、プレミア上映としてカンヌで最初に上映されていて、世界的にも非常にデリケートなイスラエルの状況の中で行われたわけです」。元々、脚本自体はガザとの争いの前に書かれており、その経緯について質問されたラピド監督は、作品の制作過程や意図、そして現代社会における自身のスタンスを一気呵成に語った。


「この映画は、二度誕生している、つまり一度は死んでいます。というのも、最初は2021年、ガザとイスラエルの間での悲劇が始まる2年前に脚本が書かれました。その時もやはり『イエス』というタイトルで、主人公も同じ。アーティストの芸術性や感受性を尊重しない世界で、権力に従い、服従と諦めの卑屈な生活を強いられるという話でした。 誰しもが持っている「普通に生きたい」という望みを持ちながら―しかし、そのためには高い代償を払わなければいけない。そういった社会はイスラエル独特のものではなくて、世界中にあると思います。卑劣な権威主義の社会になっている。様々な国で本作を上映していますが、どこへ行っても必ず“自分たちの国の状態を描いているのではないか”と観客が言うわけです。アメリカに行くとトランプ政権だ、ロシアに行くとプーチンのことを言っているんだ、と。無感覚の世界の中で、無感覚に生きなければいけないという世界を描いています。

そんな中で疑問が生まれます。現代社会においてアーティストというものがどういう存在なのかと。『アヘドの膝』の中でも検閲を拒否するというシーンもあり、反抗的な精神を示しました。が、今作ではアーティストも他の人と同じような妥協をしなければ生きていけないということを、正面から突きつけるような感じになっています。アーティストとは今の時代を語る人だと思うんです。だが、まさに今の時代はアーティストが力強く語れない世界になってきている。映画監督としても、アーティストとしても、私は自分で感じていることを素直に作品に表していきたいと思っています。自分が感じていることと、世界の状態が繋がっていて、それを反映しているというふうに考えています。それは確かにロマンティシズムと言われるかもしれないですが、アーティストが岩にへばりついて、ポピュリズムの波に対抗していくように―またそれは権威主義であったり、ファシズムであったりしますが、人々の怒りを代表して、最悪のものに対して戦っていく。しかし、そういったアーティストの姿というのは、今や過去のものになっているのではないかと思います。あなたも世界も、もう変えることはできないんだ、と。世界を変えようと思って行動する人はロマンティストだと言われて、それを2度、3度と繰り返すと、それはもう愚かな行為なんだ、子供っぽい行為なんだ、というふうに見られてしまう。

私はこれまで、「扉や壁に一生懸命、頭や体を打ち付けて、それを破ろうとする」という映画を作ってきましたが、今の世界は、そういう人たちがむしろ扉を抱えて、世界なんか変わらないんだと言っている、そんな現在を描いているわけです。私にとって、現在の人生を変えるということは勇気だと思います。これまでの作品の中では、どちらかというと抵抗を描き、レジスタンスを体現してきたと自負していますが、今は抗議すること自体が効率悪く、そして結果を生まないと考えられている。結局、怒りが絶望に変わってきてしまっている、という状態です」。



そんな本作をジュリアン・レジは「(過去作も含めて)最も素晴らしい作品だ」と絶賛。「正直に語るという勇気を、この映画では見せていると思う。それもひどい時期に、それを言うのは容易ではないという時期にやってのけている。そして皮肉なことに、卑怯な自分を正直に見せている。この主人公を見ると、卑怯でもあり、そして厭らしい部分もある。でも、この映画を観て数か月の間に、映画自体も、そして私自身も、なにか成長しているような感じがするのです。この映画を見て思い出したのは、セリーヌです。 小説家のセリーヌと、『夜の果てへの旅』を想起しました。本の中でセリーヌはとことん、自分を曝け出しています。そういったところが少し共通するような感じを受けました」と、フランスの有名な作家ルイ=フェルディナン・セリーヌを比較として持ち出すと、監督自身にも思うところがあるようだ。


「この作品は、その主人公を通して考えてもらう作りになっています。主人公は、卑怯者である、そしていやらしい人物である。それは彼が住んでいる世の中の人たちが卑怯者であり、いやらしい世界の中に生きているからであって、そういう意味で、私自身は道徳やヒーローを描くことに興味を持っていないのです。主人公は、別に仮面を被っているわけでもなく、自分の弱さも曝け出しているんです。先ほどセリーヌがお話しに出てきましたが、セリーヌは私が自己形成をしていく時期に非常に重要だった作家で、『夜の果てへの旅』は私のバイブルのようなものでした。映画を観始めた頃、パリの劇場から帰ってくる道すがら、毎日一章を読みました。私のアーティストとしての人生を変えたのはセリーヌです。とことんまで卑しさを真実として語っています」と、まさに影響を受けたアーティストの一人であることを告白した。


最後に、イスラエルでのエルサレム・フェスティバルでの上映ではどんな観客の反応があったのかを聞かれたナダヴ監督。

「来年の一月から本格的に上映が開始されるので、その頃にはもっとたくさんの意見も聞けると思いますが…。まずネタニヤフ政権からも大臣たちからも、絶対にフェスティバルで上映しないように、と言われました。文科大臣は“裏切り行為”と批判しました。そんな中で上映しましたが、満席でした。他の国では批判的な見方もあって、やりすぎだとか、大袈裟だとか、狂気じみているとか。あとは、あまりにアンチ・イスラエルだとも。ですが、イスラエルで観てもらった時は、ドキュメンタリーのようにも受け止められたたようで、これはネオリアリズムだという評価をいただきました。シュールレアリズム的な場面もありますし、構造が複雑な部分や、そういった部分も全て含めてリアリティがあると人々は観てくださいました。イスラエルでの公開が1月1日なので、どういうふうになるか心の準備をしているところです。紛争が実際にあるところでは、非常に現実的に捉えてもらえました」と語り、イベントは終了した。



▼作品情報



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